「恐
縮です」の台詞で有名な芸能レポーターの梨本勝さんが先月亡くなられました。梨本さんは亡くなる二日前まで記事を書かれていたそうです。亡くなる直前まで仕事ができるというのは素敵なことだと思います。
働くということは、生きるためであると同時に誰かの為に役に立つということです。誰かの役に立つ事を仏教では菩薩行といい、日蓮聖人も仕事を法華経の修行と思いなさい、と言われました。
仕事しすぎで亡くなってしまっては本末転倒ですが、誰かのために、今日も仕事を頑張りましょう。 U.K
更新日:2010/09/01
同じ生姜なのに、乾燥させると成分が変わり、味も良くなり、身体を温めるという効能も増したウルトラ生姜になる。NHKの「ためしてガッテン」の話です。
乾燥させてカリカリにするだけで変身するとは、まったく驚きました。でも考えてみると、世の中、びっくりするような変身をするものはたくさんあります。昆虫などは幼虫と成虫ではかなり違います。
中でも圧倒的なのは蝶です。気持ち悪いあのイモムシを見て、綺麗な羽を広げて空中を舞う様子はとても想像できません。
これに比して、人間には変身は見られないように思われます。たしかに赤ちゃんの頃から、少しずつは変わっていきます。でも、ひと頃流行っていたウルトラマンや仮面ライダーのように、身体が突然大きくなるなどの変身は見られません。
でも、人間にも変身はあります。「成(じよう)仏(ぶつ)」というのがそれだと私は思います。
成仏というと、死んだ人に、「迷わず成仏してくれよ」などと、何となく死んでからの話だと思われがちですが、そうではありません。文字通りに言えば、「仏になる」ことが成仏。この世の真理に目覚め、悟りを得た人を仏と呼びます。ウルトラマンならぬ、ウルトラ人間とでも言ったらいいのでしょうか。いわば人間の究極の理想像と考えればよいのでしょうか。
一般に「神仏(かみほとけ)」と並べて呼びますが、神とは、例えばキリスト教の神は、万物の創造主であり、当然人間も神によって作られたものです。従って神の気持ちにそぐわなければ、抹消されても人間としては文句も言えません。
それに対して、仏とは人間の究極の理想像ですから、私たちも仏になることが出来るのです。仏のなさったご修行の功徳は全て妙法蓮華経の五字に具足しており、これを信じ行ずることにより、私たちも仏の功徳をいただき、成仏することが出来るとされます。お題目を身に口に心に行じ、仏=ウルトラ人間に変身することが出来るのです。
更新日:2010/09/01
夏休み、家族でお参りに来られた子供に、たまたま木陰にいたクワガタを見せてあげました。今の子はクワガタぐらいでは喜ばないだろうと思っていたら、興味津々の様子。「持って帰って育ててあげて」と言うと、ニッコリ笑顔で「ありがとう」と言って、得意げに持って帰りました。
思いのほか喜んでくれて、心からありがとうと言ってくれたことで私の心までが明るくなったようで、その子の素直さがとても尊いものに感じられました。
人は当たり前の日々の中で、何か特別なことがあると有難いと思うものです。しかし特別なことでも、それを当たり前のことにしか感じないと、有り難さに気づかないこともあります。
クワガタも私にしてみればこの時期いつも境内にいる当たり前のことですが、その子にとっては普段手にすることなどない特別なものです。有ることが難(かた)いので「有難い」です。中々体験できない、得難いことに対して、有難い、ありがとうと、感謝の気持ちが出てくるものなのです。
ではそんな有難いことは滅多に体験できないのでしょうか。日蓮聖人は『日女御前御返事』に、「妙法の五字の光明(こうみょう)に照らされて、本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる」と示されます。どんな人、どんな物事にも表面には見えない、その本来の姿があり、それはお題目の光に照らされた時、仏様のように光り輝くものとなって現れると説かれるのです。当たり前の日々の中に、何気ない出来事の中に、光り輝くすばらしいものが隠されているのです。
私たちは何か特別なものを目指して求めがちです。しかし実は初めから尊く有難いものなのです。それに気づかせて頂けるのが、そして私たちの人生を光り輝かせて下さるのがお題目の光であり、功徳なのです。
「ありがとう」と心から言ってくれたあの子が、私の心を明るくしたように、心の底から唱えるお題目が、きっと皆さんの心を明るく輝かせることでしょう。
更新日:2010/09/01