鳥居
とりい
明治37年建立。よく尋ねられるのが、「妙見山はお寺ですか?神社ですか?」という質問です。鳥居や狛犬があったり、「妙見宮」とも呼び慣わされているところから出た疑問です。これは、鳥居の左側に『日蓮宗霊場能勢妙見山』と刻まれた石碑があることからもわかるように、日蓮宗のお寺です。お寺には普通、 ○○山○○寺という風にお寺の名称がつきますが、能勢妙見山には寺号がついていません。実はこの能勢妙見山は、ここから北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」と呼ばれています。
※石碑に「日蓮宗霊場」とありますが、霊場とは、神聖なるところ、すなわち清らかなる聖域ということです。
神馬
しんば
昭和52年10月建立。馬は昔の武士が活動するのに大切な乗り物であったことから、刀を振りかざして鎧(よろい)を身につけ武士の姿をした妙見大菩薩様に乗っていただきたいと奉納したものです。
日乾上人銅像
にちけんしょうにんどうぞう
昭和48年4月建立。日乾上人は大変高徳の僧で、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の法主(ほっす=住職)になられた方で、日乾上人のお話を聞いた頼次はすごく感動し、即座に日乾上人に帰依(帰依というのは自分の身も心もすべてを捧げて信じると言うこと)します。そして広大な山屋敷を寄進して、ここにすんで教えをさらに説いて欲しいと願いました。これが眞如寺の始まりで、日乾上人はこの願いにこたえて、のちに能勢というこの田舎に身を寄せて教えを説き広めることに尽くされます。このとき、日乾上人は能勢氏の家鎮として古くから祀られていた「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」とし、さらに武運長久を願って武具甲冑を身につけ剣を手にした妙見大菩薩のご尊像を日乾上人自ら彫刻して授与し、これを能勢の領地が一望できる為楽山の山頂に祀りました。これが能勢妙見山の始まりです。時に慶長10年(1605)今から約400年前のことです。以後、日乾上人は能勢頼次の外護のもとに次々と能勢一帯の神社・寺院を日蓮宗に改宗していきます。こうして能勢地方の日蓮宗=能勢法華が広まっていきました。
信徒会館「星嶺」
しんとかいかん「せいれい」
平成10年4月完成。信徒会館「星嶺」は、大舞台を持つ木とガラスの殿堂。参詣者の心のふれ合いの場として建てられたもの。2階礼拝堂はご本尊の世界を体感できる新しい宗教空間として注目されている。設計は高松伸京都大学教授。
寺務所・庫裡・待合所
じむしょ・くり・まちあいじょ
昭和50年5月完成。ここでは、ご祈祷、ご回向、および各種お守りの授与を受けついています。御祈祷や回向を申し込まれた方は隣の祈祷待合所にて待機できます。
浄水堂
じょうすいどう
「妙」は美しい「見」は姿。すなわち「美しい姿」ということから江戸時代より役者など芸能人の信仰が篤く、この浄水堂の柱には「4代目中村歌右衛門」の銘があり、150年前に寄進されたことがうかがえます。なお、「3代目中村歌右衛門」も本殿の燭台(ロウソク台)を寄進しております。
祖師堂(棲神殿)
そしどう(せいしんでん)
明治29年の改修で、須彌壇上には本尊久遠実成本師釈迦牟尼仏、多宝如来、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩、普賢菩薩・弥勒菩薩、不動明王・愛染明王、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王が祀られ、中央には宗祖日蓮大聖人、向かって右は当山開山日乾上人が祀られている。
※祖師堂にてご先祖のご回向をいたします。
開運殿(本殿)
かいうんでん(ほんでん)
慶長10年(1605)能勢頼次公によって草創され、天明7年(1787)能勢頼直公の本願によって再建。明治28年11月に大改修され、現在に至る。内陣の御宮殿には開運の守護神である北辰妙見大菩薩が祀られ、終日ご祈祷等がなされる。
※本殿にて各種ご祈祷いたします。
経堂・絵馬堂
きょうどう・えまどう
寛政8年(1797)8月、能勢頼直公の建設による。経堂では毎日、9時・11時・14時・16時に読経が行われる。絵馬堂には、願い事を記した数多くの絵馬がかけられている。
絵馬とは元々祈願の為に本物の馬を供えていたことに由来しており、その後馬像やさらに簡略化された絵馬が奉納されるようになったもの。