二月三日は節分だ。「福はーうちー」の掛け声と共に豆をまいたり、最近では恵方巻きを食べたりして過ごされる方も多いのではないか。節分とは季節の分け目という意味で、もともと二十四節気それぞれの前日を表す言葉であったが、いつ頃からか冬の終わる最後の日である立春の前日を指すようになった。旧暦ではお正月と立春が近いため、節分も大晦日と同じように新しい生活が始まる境目の日として重視されており、當山でも節分から立春の日にかけては星祭を行っている。
星祭とは私達の運命を司る星の神様そして全ての星の王様である妙見様をお祀りし、本年の星回りをよくして頂くように願う行事だ。つまり運気を好転させることで、災難を除き寿福増進の御利益が頂けるのである。
季節の変わり目の大切な日、恵方巻きを頬張った後は、妙見様に手を合わせよう。
更新日:2012/02/01
お正月は一年の始まりだ。お正月は家の中に歳神様をお招きし、一年の幸福を祈る。そのため、大掃除をしたり鏡餅や門松など色々な準備をしてお迎えをする。また、お正月には初詣に行くが、これは守護神様の元へお詣りし昨年の息災を感謝すると共に、新たな一年も無事過ごせるようにお祈りをするためだ。
お盆とお正月は日本人の二大行事といっても過言ではないがお盆がご先祖様の供養に重点が置かれているのに対し、お正月は私達の幸福を祈る性格が強く全てを清め新たなスタートを切るための行事といえる。
お正月の飾りにも一つ一つ意味があり、門松は神様が降臨する目印であり、鏡餅と共にお供えする橙は子孫繁栄、干し柿は夫婦が皺(しわ)の寄るまで添い遂げる事を願い、田作(ごまめ)は豊作を象徴する。飾りは全てする必要はなく心の持ちようが大切である。
更新日:2012/01/01
大晦日の行事は正月の行事と共に一年で最も大切だ。中でも大事なのが除夜の鐘。
ところで、なぜ除夜の鐘というのかご存じだろうか。十二月を師走と言うが別の名を除(じよ)月(げつ)という。その最後の三十一日を除(じよ)日(じつ)といい、その夜だから除夜という。
除夜の鐘は、煩悩の数と同じ一〇八回鐘を撞く。一年の終わりに自らの煩悩を払い、新年を新たな気持ちで迎えるためだ。
お寺によっては除夜に一〇七回撞き、最後の一回は新年を煩悩に惑わされないよう、年が明けてから鳴らし祈る所もある。當山ではお詣りの方にも撞いて頂けるようにしているため、いつも一〇八回を超えてしまうのだが、せっかくなので鐘を撞いて今年の煩悩を落として頂ければ幸いだ。また、鐘を撞く前には鐘に向かって合掌し、仏様に今年一年の無事を感謝してから撞くのが良い。
更新日:2011/12/01
十一月は全国的に七五三の御祝いが行われる。七五三で対象となるのは三歳の男女、五歳の男子、七歳の女子だ。それぞれここまで無事成長できたことを守護神様に感謝し祝う行事である。
昔は医療も現代ほど進んでいなかったため、幼くして亡くなる子も大勢いた。そのため、節目の年に神仏に感謝すると同時にこれからも護って頂けるよう祈りを捧げ厄払いを行った。
七五三というと千歳飴をイメージする方も多いと思うが、これも子の長寿を祈って細く長く作られた飴で、縁起の良い鶴亀が描かれた袋に入っていることが多い。
昔は暦の上で日がよいため十五日に行っていたが、現在では十一月中であれば特にこだわりなく行うことが多い。また、年齢も以前は数え年であったが、近年は満年齢でお詣りに来られる方もある。
更新日:2011/11/01
十月十三日は日蓮宗にとって最も大事な行事の一つである御会式が行われる。御会式とは一般的には法要全般を指すが、本宗では特に日蓮聖人ご入滅の法要の事をいう。この日、本宗の寺院では全国的に御会式が厳修されるため御会式は十月の季語にもなっている。(旧暦に則り月遅れの十一月に行うお寺も多い)
日蓮聖人は東京池上本門寺でご入滅されたため本門寺の御会式はとりわけ盛大に行われる。特にお逮夜の十二日には万灯行列や団扇太鼓で唱題する人でごった返し、池上の駅を下りると身動きも取れないほどだ。
また、日蓮聖人ご入滅の時に季節外れの桜が咲いたことからこの日に御会式桜と呼ばれる造花を参詣者に配るお寺も多い。
池上に赴いて日蓮聖人の息吹を肌で感じるもよし、菩提寺で静かに聖人の御威徳を偲ぶのもまたよい。
更新日:2011/10/01
九月十二日は龍口法難の御聖日だ。龍口法難とは、日蓮聖人が鎌倉幕府により捕らえられ、江ノ島を臨む龍口(たつのくち)で処刑されそうになったご法難である。
当時、僧侶の刑は流罪が最高であったが、幕府の勘気をこうむった聖人は内々に処刑されようとしていた。聖人が頸(くび)の座に引き据えられまさに刀が振り下ろされようとした時、「江の島のかたより月の如くひかりたる物」が現れるという不思議な天変地異が起こり、役人達は恐れおののき処刑が中止となった。こうして聖人は無事に頸の座を逃れることができたという。
またこのとき、聖人が刑場に向かう途中で、老婆からぼた餅を供養されたのだが、それが後世、厄除けに効く「頸(くび)つなぎのぼた餅」と言われるようになった。そのため龍口法難の法要の折に、ぼた餅やお餅を供養するお寺も多い。
更新日:2011/09/01
旧暦の七月十三日から十五日までをお盆という。現在では、関東では七月、関西では八月に盂蘭盆会をする所が多い。
お盆にはご先祖様などの精霊が帰ってこられるため、お盆の入りには迎え火を焚き、仏壇にお供え物をしてご先祖様の霊を慰め、最後の日には無事あの世に帰れるように送り火をする。お供え物は、ご先祖様が早く帰ってきてゆっくりあの世に戻れるように、キュウリの馬とナスの牛を用意する。併せて、あの世へ持ち帰ってもらえるよう野菜や果物をお供えする。
また、盂蘭盆会はお釈迦様の弟子の目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救った故事が始まりとされ、日蓮聖人も盂蘭盆御書にて父母の供養をすることの大切さを説かれている。併せてお寺では施餓鬼法要を行い、餓鬼の供養とその功徳がご先祖様に届くようお祈りする。
更新日:2011/08/01
土用の丑の日といえばうなぎを食べるのが年中行事として定着しているが、これは江戸時代の蘭学者平賀源内が丑のウにちなみ鰻屋の宣伝のため考案したのが始まりという。
土用とは夏だけにあるのではなく立春、立夏、立秋、立冬の前の一八日間を指す。元を探ると古代中国の陰陽五行説に由来する。陰陽五行説とは木、火、土、金、水の五つの要素で万物が構成されているとの考え方であり、春を木、夏を火、秋を金、冬を水と考える。土は四季に当てはめず、それぞれの季節の終わりの五分の一を「土用」としたので年に四回ある。
土用は季節の変わり目で体力的にも不安定な時期である。そのため先人達は昔から精の付くものを食べたりお灸を据えたりして対策を取ってきた。私たちもしっかりと足場を固め、次の季節の飛躍への糧としたい。
更新日:2011/07/01
六月は梅雨の季節である。しとしとと絶えず雨が降り空気全体が重くなったように感じる。だが同時に、靄が山を水墨画のような荘厳な雰囲気へと変えてゆく。
そんな夏に向かう中間地点で衣更えは行われる。学校など制服を着る場所では一斉に冬服から夏服へと衣更えが行われるが、お寺も例外ではなく日蓮聖人の御尊像始め私たち僧侶の衣帯も重い冬物の衣から涼しげな夏物へと着替える。
元々は中国の宮廷で旧暦の四月と十月の一日に式服を替える習慣があり、それが平安時代、宮中に伝わり更衣の日と定められたのが始まりであるという。
また、衣を替えるだけでなく夏が近づくにつれて縁側には簾を掛け、部屋の障子を葦簀にしたりと建物も衣更えも行う。
エアコンをつけるのも良いが、先人の知恵を生かして気分新たに夏を迎えるのも悪くない。
更新日:2011/06/01
こどもの日は端午の節句とも呼ばれる。古くは菖蒲や蓬を軒にさし邪気を払う行事であった。時代が下り近世になると、次第に男子の武運や出世を祈る行事となり現在では子供の健やかな成長を祈る行事として定着してきた感がある。
ちなみに、こどもの日は祝日法によって決められているが、これによると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日であると定められている。母の日が近いからか、この日が母に感謝する日であることはあまり知られていない。
父母への恩が大事であることは日蓮聖人も度々おっしゃっている。自分の体は全て両親から頂いたものであり、ご先祖様から繋がってきたものである。それを感謝と共に未来へとつなぐ日が子供の日の本当の意義なのではないだろうか。
更新日:2011/05/01
花祭りとは、お釈迦様の誕生日を祝うお祭であり、釈尊御降誕会とも言う。
釈尊は四月八日、花の咲きほこるルンビニ園でお生まれになった。その時龍が産湯の代わりに天から甘露の香水を降らしたと伝えられている。
現在では、ルンビニ園の花園にちなんで花で飾り付けた花御堂に、生まれたばかりの仏様を表す誕生仏を安置し、甘露の香水に代わりに甘茶をかけて供養するようになった。
また誕生仏の姿は産まれたばかりの釈尊が七歩あるいて天地を指し「天上天下唯我独尊、三界皆苦我当救之」と唱えられたことを表している。
先の見えない中で迎える新年度だが、全ての人の幸福を願うお釈迦様の教えを、今こそ実践してゆきたい。
更新日:2011/04/01
日蓮宗でお経と言えば、妙法蓮華経(法華経)を指す。その中でも教えの最も大事な部分である方便品の最初の部分と如来壽量品の偈文(自我偈)は僧侶でなくても唱えられる方が多い。
ところでなぜ私たちはお経を読むのだろうか。その答えも法華経にある。そこにはお経を読むことで絶大な功徳を得ることができると書かれているのだ。
だが法華経を全部読むのは大変だし、方便品と自我偈だけで良いのかと疑問も残る。日蓮聖人はこの問いに対し、方便品や自我偈は「略」唱題を「要」とし(『法華題目抄』)唱題を修行の中心にするよう説かれている。その為一般にも唱題は正行お経は助行と言われている。
少しお経を憶えると嬉しくなって、お経にばかり力が入ってしまうが、唱題はそれ以上に大切であることを胸に刻み日々の信仰に励みたい。
更新日:2011/03/01
最近ではものを運ぶのが大変な事もあり、金銭でお供えされる方も多くなってきたが、今でも重い御神酒やお米などを抱えて、お供えして下さい、と寺務所へ預けて行かれる方も大勢おられる。
御供は布施行の一種で供養とも言う。元は仏・法・僧の三宝に対する尊敬の心をものや行為に託して表すことを言ったが、近年「供養」というとご先祖様や故人に対してお経を上げたりお供えをする先祖供養や追善供養を差す事も多くなった。
またお葬式では、参列された方へお供養の品を振る舞い、その布施行の功徳を故人に回向することも「供養」と呼ばれる。
「供養」の指す意味は時代と共に少しずつ広がってきているが、大切なことは、供養をする際、単にものや行為を施すだけでなく、その根底に流れている法華経を信じる気持ちを意識することである。
更新日:2011/02/01
最近は御朱印を集めるのが静かなブームとなっているようだ。御首題帳をお寺に持っていくと、かっこいいサインを書いてハンコを押してもらえると、スタンプラリー感覚で御朱印を頂きに来られる方も多くなってきた。では御朱印とはなんだろうか。
前回本欄で写経の功徳と歴史について書いたが、その写経した経典をお寺に収めることを納経と言う。江戸時代には全国の有名寺院に納経して受け取りの証をもらう事が盛んになっていったが、経典の持ち運びが不便なので次第に金銭を奉納して納経に代え、その証として寺印を受けるという風習ができた。現代でも行われている御首題帳や御朱印とは実はこの風習が変化したものである。
御朱印をたくさん集めるのは楽しいが、それだけではなく一つ一つの寺印にしっかりと功徳も詰まっているのだ。
更新日:2011/01/01
仏道の修行として代表的なものの一つに写経があげられる。法華経の「法師品第十」には写経等の修行により大願を成就することができる、とその功徳の大きさが説かれている。写経はお経を弘めるための手段としてだけではなくその功徳により古代から広く行われてきた。
我が国の写経の歴史は古く、奈良時代にはすでに国の事業として写経が行われており、平安時代以降は個人の祈願や先祖の供養のための写経が盛んになっていった。
写経とは単に字を写す作業ではなく、仏様の金言であるお経を写すことである。一字一字を仏様と思って心を込めて書くことが大切だ。書き進めるうち、気持ちが落ち着き心が清らかになっていくことが感じられる。
筆記具は鉛筆などでもよく、気軽に始められるので一度体験してみてはどうだろうか。
更新日:2010/12/01
お経は難しい。特に法華経は難しいと言われ、法華経自身に「法華経は難信難解だ」と書かれているほどだ。字面を追ったり、口語訳を読むことはできても、お釈迦様が言いたかったことをどこまで自分が理解できているのかと不安になる。
でも心配しないでいい。お釈迦様も頭で理解することよりも心から信じることの方が大事だと説かれている。
私たちは仏の慈悲を感じ、その救いの手を信じて一心にすがることが大事なのである。それを言葉で表すと「南無妙法蓮華経」というお題目となり、これを唱えることを唱題という。
唱題は本宗のお詣りの基本であり、日蓮聖人の教えの根幹である。法華経の深遠な内容を完全に理解できなくとも、仏様を信じ心の底から湧いてくる気持ちを込めてお題目を唱えることが肝要である。
更新日:2010/11/01
以前、数珠の起源と功徳を本欄に書いたので、今回はその用い方を述べたい。
通常、数珠は二重にして左手首にかける。また、合掌の際は親指と人差し指の間にかけて使う。但し、勧請・唱題・回向の時は、輪の途中に綾を作り、両手の中指の真ん中より上あたりにかけて合掌する。その時、数珠の輪を止めてある方(房が三本の方)を左に持つようにする。
また、法要中に数珠を擦りならすのは、密教の修法や山伏修験の作法に始まったものであるため、日蓮宗では行わない。
素材についても色々あるが『数珠功徳経』によると金・銀・赤銅・水精・真珠・珊瑚・木禦子・菩提子・蓮華子・多羅樹子・及び種々の香木があげられている。様々な種類があるが安い数珠でも良いのでまずは自分だけの数珠をもって一心にお題目を唱えることが肝要である。
更新日:2010/10/01
亡くなられた方の御遺骨をお墓や納骨堂などに納めることを納骨という。納骨は四十九日の満中陰や百箇日を機に行われることが多い。ただ、家族の心情的にまだそばにいたいときなどはしばらく仏壇にお祀りしてもいいし、逆にお墓があり配偶者が先に亡くなっておられる場合などは満中陰の時に納めてあげるほうがよいかもしれない。
また、これとは別に本山納骨と呼ばれるものがある。日蓮宗では、阿仏坊の子藤九朗守綱がはるばる佐渡から父の遺骨を日蓮聖人の棲まわれる身延へ納めに来たことからも伺えるように古くからお骨を聖人のおそばに納めて供養することが行われてきた。
能勢妙見山でも、故人が長年親しんできた妙見山で供養して欲しいという期待に応え、納骨供養の場を作りたいと準備を進めている。
更新日:2010/09/01
お寺や神社に行くと必ずおいてあるのが賽銭箱だ。私達はお詣りをする時、習慣的にお金を入れるが、これは仏さまやご守護神様へのお供えでありお布施である。
お布施というと法事の御礼としてお坊さんに渡すものというイメージがあるかもしれない。最近では定額制を謳った広告も見かけるが、布施とは労働に対する対価ではなく仏教の修行の一つである。神仏やその教え、また教えを説く僧侶へ施しをすることで功徳を得るとされる。
また、布施は大分すると以下の三種類がある。一つは、物やお金を施す財施。二つ目は仏教の教えを人に話す法施。そして三つ目が人々の不安を取り除いて安らぎを与える無畏施(むいせ)である。
家族と笑顔で接したりお寺で聞いてきた話を聞かせてあげたりして布施を行じ徳のある生活を送ってみてはどうだろうか。
更新日:2010/08/01
お堂の前に垂れ下がっているヒモを振るとがらんがらんと荘厳な音がする。この音響具を鰐口といいお寺や神社でよく見かける。
これは、参詣者の来意をお堂の神様に伝えるものであり、家でいうところのインターフォンのようなものである。
一生懸命な気持ちの表れかもしれないが、全力で鰐口を叩いている方をたまに見かける。仏さまに来たことを知らせることは大事であるが、やたらと大きな音で鳴らすとかえって耳障りとなり仏さまに対して失礼にあたる。鰐口は音を供養するという意味もあるため、力を込めて大きい音をだすよりも、仏さまが聞いて心地よいように、いい音を出すことが大事だ。
鰐口を叩いてこれから参詣する旨を神仏に表明しその音色を供養する。その後一心にお題目を唱えれば、必ずより多くの功徳が得られる。
更新日:2010/07/01
太鼓は法要に無くてはならない仏具の一つである。重厚感のある音は場を荘厳にし、テンポのよいリズムに合わせて唱えるお題目は心の雑念を取り去ってくれる。
また、日蓮宗では団扇太鼓をよく使う。団扇太鼓とは円形の枠に革を張り柄をつけただけのシンプルな太鼓だ。その見た目に似合わぬ迫力ある音と通常の太鼓より手軽に携帯できるため僧侶が行脚で使うだけでなく、江戸時代中期にはすでに様々な講中で使われるようになっていたといわれている。
団扇太鼓の打ち方は、お題目に合わせて、五打ないしは三打する。行脚の時は五打が用いられ、講中では三打が多い。
最近太鼓を打ちながらお詣りする方は減ってきたが、周りの方の邪魔にならないよう気をつけさえすれば、太鼓片手に大勢で参詣に行くのもお詣りの醍醐味ではないだろうか。
更新日:2010/06/01
初詣に行くと、今年一番の運試しと、おみくじを引いて一喜一憂している光景を見る。近年では、当たった外れたと、運試しくらいにしか考えないでおみくじを引く方も多いが、おみくじ発祥の古代中国では、国の政などに関する重要な事項を神仏に問うために用いられたものであった。
日本には弘法大師あるいは元三大師が伝えたといわれておりそれがやがて日本全国へと普及していった。
おみくじを吉凶だけ見てすぐに木に結んでしまう人もいるがそれは大変もったいない。おみくじには神仏からのメッセージが書いてあり、これを熟読し自分の状況に置き換えて考えることで、壁にぶつかった時でも必ず進むべき方向が見えてくる。
まず、引く前に何を占うのかを真剣に考え、引いた後はじっくりと読んで今後の行動に活かしていくのがよい。
更新日:2010/05/01
お墓参りに行く時はお花を持っていくし、お寺の本堂にもお花が飾ってある。このような仏前にお供えする花を供花という。
お供えする時、花を仏様か私たちの方か、どちらに向けて良いのか迷うかもしれないが、花の背をご本尊に向けてお供えするのが基本だ。そうすると、花の表は私たちの方を向くことになるが、これにより私たちの信心はより高まるのだという。
お供えする花の種類に特に決まりはなく、全ての花は私たちを苦しみから救って下さるという仏様の心を表すと言われる。
なかでも「南無妙法蓮華経」のお題目にもある蓮華は特に良いとされる。
蓮華は泥の中にあっても汚れず美しい花を咲かせる。それは、私たちが住むこの泥沼のような世界にあっても、心清らかに生きていくことを説く法華経の譬えでもあるからだ。
更新日:2010/04/01
絵馬に願い事を記して奉納すると願い事が叶うといわれている。干支など様々な絵柄があるが、これを絵馬と称するのは、元は馬の絵が描かれていたからである。
馬は高貴の乗り物であり、仏神の乗り物として馬を捧げると無量の功徳を得ることができるとされていた。特に青馬は争い事や病気などを鎮める力を授かり、赤馬は商売の繁盛や物事の隆盛を祈るに貢献大きいとされていた。しかしながら馬一頭を奉納することなど、一般の者にはとてもできることではなく、そこでせめて絵に描いた馬を捧げようとしたのが始まりといわれる。絵に描いたものでも、馬を奉納する気持ちが大切だ。
いずれにしても、願いを自身の手で書き、仏神に相対してその面前で自ら至心に絵馬を捧げるということは、信仰の原点であり、その功徳の絶大なることは言うまでもない。
更新日:2010/03/01
寒(かん=小寒から立春の前日まで)の間にお滝に入り水に浴すれば、病気にならないなどと言われ、古くからお滝で修行する人は少なくない。武道の寒稽古も、勇壮な趣がある。
本宗の水の行には大きく二つの功徳があるとされる。一には心身を清浄にする。二には不惜身命の心を養い、仏の教えを守る心の力を強くするという。
お滝に入るにはまず水行衣を着した後、仏祖・諸尊に対し一心に読経唱題する。次に唱題の中で水を頭・顔・四肢・躰の順にかけて十分に冷やす。これを怠ると躰を痛めて逆効果になってしまうのでご注意。しかる後唱題しながら滝に打たれる。この時決して頭に水を受けるのではなく、肩に受ける。また長時間にわたって滝に打たれることは、本意ではないとされる。要はお題目を戴く気持ちで水を頂戴することが肝要である。
更新日:2010/02/01
神前に供える酒をいう。仏教においても御供物(おくもつ)の一つとして仏前に、また妙見様などの守護神に捧げる。酒は穀物や果実のエッセンスであり、生命の源とされるなど、古来神聖なものと考えられていた。そのため塩などと同じように、土地を清めるときなど御神酒を撒いたりすることもある。
また神に供えた御神酒をいただき体内に入れることにより、神との交流がなされ、非日常の世界に入ることが出来るとされた。結婚式など、特別な縁を結ぶとき盃を交わすのもここから来たものであろう。
神仏と関係ないときでも、酒を飲むのに、しゃれて「オミキをいただこうか」などということがある。新年会など何かとオミキをいただく機会が多い時節だが、呉々もオミキが過ぎて非日常の境に入り浸らぬようご注意を!
更新日:2010/01/01
坊さんが忙しくて走り回るから師走だ、などと言われるが、坊さんでなくても忙しいのが年の暮れである。せめてお正月ぐらいはのんびりすごしたい。そんな思いもあって、たまっている仕事を片づけたいと、走り回ることにもなるのだろう。
一年の計は元旦にあり。それなら、一年の締めくくりはやはり年の暮れと言うことになる。一年間をふり返れば、様々なことがあったことに気づく。
良かったことは大切な宝物に、嫌なことや良くなかったことは来年へ持ち越さないように、そして新年は新たなる出発点としたい、と誰もが願う。
除災得幸=旧年の災いを除き新たな悦び幸せを得る。
開運隆昌=運勢を開き盛んなる人生をおくる。
そんな願いをこめて、仏前で一心に一年の精算を祈るのが師走のお詣りではないでしょうか。
更新日:2009/12/01
最近家庭の仏壇では電球の明かりをつけている所も多いが、一般にはロウソクに火をつけ仏前にお供えする。この明かりを灯明という。また、もっと昔は油に火をともす油皿が使われており、延暦寺では灯明の火を絶やさないように細心の注意を払ったことから「油断大敵」という言葉が出来たという説もある。
灯明は仏の智慧を象徴するものである。それは、灯明の光が暗闇を明るく照らすように、仏の智慧もまたこの世の暗闇を照らし、そこで迷っている私たちを導いて下さるからである。
近代日蓮宗学の大成者といわれる優陀那日輝上人は、お供え物で最も大事なものの一つに灯明をあげ、灯明は私たちの心を厳かで静粛にし、自分を制御して戒めを持つのを助けてくれると述べられている。
なお、お詣りの後、火の始末にはくれぐれもご注意を。
更新日:2009/11/01
お寺といえば立ちこめる線香の煙をイメージする方も多いのではないだろうか。実際、私たちもお詣りする時に必ず線香をつけるがこれは一体いつの時代に始まったことなのだろうか。
仏様への供養として香りを捧げることは古代インドにおいてすでに行われており、法華経を含め様々なお経からもその記述が見て取れる。
お釈迦様の生まれたインドは暑さ厳しい国のため、香りについては特に気を遣っていたようだ。昔のインドでは線香より塗香がよく使われており、それを身体に塗るだけではなく、壁や座る所にまで塗って仏や僧を供養したという。
また、お香は仏様に供養するだけでなく、捧げた者の身体や心にある臭穢も払うといわれている。線香を捧げれば、その功徳により自分自身も清浄になるのである。
更新日:2009/10/01
願い事がひどく困難なものだったり、どうしても実現させたい願いがあり、何とかしてその思いをご守護神様に分かってもらおうとする時、お百度詣りをする。
元来、百日間かけて毎日お詣りして願を掛けていたものを省略し一日で百回お詣りをするようになったのがその起源という。だからといって百回お詣りをしないと効果がないわけではなく、願いの度合いに応じて回数を加減してもよい。
お百度詣りのやり方はお寺によって多少の違いはあるが、当山でお百度詣りをする場合は以下の通り。
まず、お堂の脇にある数取り棒をお詣りする回数分取る。次に、お題目を唱えながらお堂を回る。お堂を一周回る毎にご守護神に向かってお題目を唱えてお願いをし、数取り棒を一つ箱に戻す。全ての数取り棒がなくなるまでこれを行う。
更新日:2009/09/01
ご先祖の供養のことを追善回向ということがある。回向とは読んで字の如く回して向ける事だが、一体何を回し向けるのだろうか。
答えは、私たちが積んだ善行による功徳である。ご先祖の回向の場合、亡くなったご先祖様に自身の功徳を送り届け死後の成仏を祈ることを言う。
日蓮聖人も、師である道善房の死去に際して著された『報恩抄』に、自分が今までの生涯に積んできた一切の功徳を回して、道善房の追善菩提に資しようとされたとある。
旧暦七月(現在の八月)の十三日から十六日は全国的に盂蘭盆会が行われる。この行事は目連尊者が法華経の功徳により母を餓鬼道より救ったことに始まったと伝えられる。
日頃は忙しさにかまけて、ご先祖様に手を合わすことが難しかったとしても、この時期だけは先祖の菩提を弔いたい。
更新日:2009/08/01
祈祷とは祈り、または祈ることである。
日蓮宗においては、仏様やご守護神を信じてお題目や法華経を一心に唱え、請い願うことを言う。
自分一人でお題目を唱えて祈っても良いし、お寺の受付で御祈祷を申し込んでもいいが、受付でお願いすればお上人が一緒になって祈りを捧げてくれる。
日蓮聖人も幼少の時「日本第一の知者となし給へ」と願を掛けられたのを始めとして、伊豆流罪の時に地頭の病悩を祈って快癒させたり、文永元年には母の病悩を祈って延命させたこと等が有名である。
当山は法華経の祈祷の効験を実感した能勢頼次の寄進によって建立され、眞如寺並びに能勢妙見山は能勢家の祈祷所として開かれて以来、四百年以上に渡り御祈祷の歴史を刻んでいる。
お詣りの際は、御祈祷を申し込まれることをお勧めする。
更新日:2009/07/01
お寺に行く時に持っていくものはと聞かれて、真っ先に思い浮かぶのが数珠だろう。
数珠の起源はキリスト教で用いられるロザリオやイスラム教のミスバハなどと同じで、お釈迦様の国インドから始まったものであり、元は祈りの回数を数えるための道具であった。
元来同じ物が、東では数珠、西ではロザリオなどと呼ばれるようになった事は興味深い。
数珠は通常百八の珠からなり私たちの煩悩を示しているという。他宗では珠の数が五十四や四十二などの略式の数珠を使うこともあるが、日蓮宗では僧侶も信徒も本式の数珠を用いる。
なお、数珠の用い方については後日を期したいが、ただ一心にお題目を唱え、数珠を繰り返し数えれば諸々の煩悩を除き、仏様のご加護を頂ける。
たとえ観光でお寺へ行く時でも数珠は持っていきたい。
更新日:2009/06/01
多くのお寺では入口付近に手を洗うための水が用意されている。
古来より宗派を問わず、水は霊力を宿しており心身を浄めると考えられてきた。お寺の浄水で手や口をすすぐことは、日常生活で知らず知らずのうちに積もっていった心と体の垢を洗い流し仏様や諸天善神にお祈りをするための準備を行うことにほかならない。
また、清浄な身と心になったところで、お願いしたい内容を心の中にできるだけはっきりと思い描き、仏様に対してしっかりとお祈りが出来るようにしておきたい。
大切なのは、お祈りをする仏様や諸天善神に対して畏敬の念を持つことである。
形だけ手や口を洗うのではなく、お願いを聞いて頂く仏様に失礼の無いように、心身を浄めて自分自身の気持ちをしっかり固めることが重要である。
更新日:2009/05/01
合掌は仏や守護神を拝む時の基本である。
皆様もお寺にお詣りに行ったときや道路脇のお地蔵様などに手を合わせることがあるのではないだろうか。
形としては、指と掌をぴったり合わせ、中指の先を喉の辺りの高さにし、両親指の第一関節を軽く胸の前に付ける。
インドでは右手を神聖な手、左手は不浄な手として使い分けられており、両手を合わせることは聖なる仏と我々衆生とが一緒になるという心を表している。
法華経において合掌の使い方を見てみると、「一心合掌瞻仰尊顔」(神力品)など数々合掌する場面が出てくるが、いずれも仏を礼拝して恭敬の念を表す時に合掌している。
お詣りするときは願いを胸にしっかり合掌したい。
今月から新連載「お詣りのしかた」を始めました。ご意見をお寄せ下さい。
更新日:2009/04/01