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星のたより星のたより

  • 寺報「妙乃見山」 投稿日:2025年11月01日

    11月1日発行 寺報「妙乃見山」

    今月の妙乃見山はこちらです。

     

    『ありがとうを手渡す』

    鈴木春曉
    とあるマナー講習での一幕。玄関先で手土産を渡す際のことです。
    若い受講生が「つまらぬ物ですが」といいながら手土産を渡しました。それをみていた講師はそれまでの笑みを一変させて、
    「つまらない物ならいりませんよね」と一言。
    えっ、人にものをあげるとき「つまらないものです」と、普通に言ってるけど、なぜ?
    「今のあなたには、心がこもっているようには見えませんでしたよ。それでは贈り物が本当につまらないものに見えてしまいますよ」
    なるほど、受講生の「取り敢えず形が整っていればいい」そうした気持ちを指摘されたのです。
    実はこの事は「供養」にもつながります。法事の後などにお渡しする「粗供養」について、一般には「ささやかなお礼」と理解されてます。しかし時には「粗」という文字が入っている為か、「つまらないもの」として受け止めてしまう方もおられるようです。
    日蓮宗事典に、供養には「色供養」と「心供養」があるといいます。どちらも身口意の三つの行為にわたって行うものです。「色供養」とは形による供養のことをいいます。花や品を供え感謝を表す供養の方法です。つまり、それは目に見える“かたち”を通して心を示す供養といえます。
    一方の「心供養」とは行為による供養。感謝や祈りを日々の生活にあらわし、自らの手で人を思いやる。そうした行いの中に心を宿す供養の方法です。
    贈り物をお渡しするたびに、それが形だけのものになってはいないか。感謝を伝えるはずの行いがいつの間にか“慣れ”や“形式”になってはいないか、そう思うことが心を正してくれるはずです。
    私たちが唱える日々のお題目もそうです。しっかりと心が伴っているか。自らに問いかけたいものです。
    時節柄、贈り物をお渡しする機会も増えます。どうぞ形ばかりにとらわれず、一つひとつに感謝と真心を込めてお贈りください。