image

星のたより星のたより

  • 寺報「妙乃見山」 / その他 投稿日:2024年01月01日

    1月1日発行 寺報「妙乃見山」

    さて令和6年1月の妙乃見山はこちらです。


    ピックアップ記事 【今月の法話】
    共によい年を!
    日慧
    妙見山上で迎える初日の出は格別です。夜のとばりが薄く赤みを帯び、やがて青い空をバックに山の端の雲を紅く染めながら旭日が昇り来るのは、壮大な無言劇を観ているようです。
    妙見山上でのご来光スポットはいくつかあります。大勢の人たちとともに感動を味わう箇所、あるいは人が少ない特別席。それぞれにお日様と対面し、今自分がここに在るという思いを深く得ることができます。
    しかし世界に目を向ければ、初日の出に関係なく、戦禍が今も続いているところがたくさんあります。その人たちが新年をどのような思いで迎え、初日の出に何を祈っているのかと思えばのんびり日の出を楽しんでばかりはいられません。
    人が行なっている戦争だけではありません。私たちは地球温暖化という、人類がかつて経験したことのないもっとも大きな課題に直面しているのです。異常気象、洪水や干ばつ、地震や台風などの自然災害です。世界をあげて一日も早くこれを解決する方策を立てねばなりません。子供や孫たち次の世代の人々に、豊かな地球を受け渡さなくてはなりません。
    すでに昔、鎌倉時代に生きた日蓮聖人は、今こそ法華経の精神を以て世の中を治めなくてはならないと言いました。その法華経の精神とはどのようなことなのでしょうか。
    法華経には平等大慧という教えが説かれています。たとえば、仏の慈悲の心は全ての生きとし生けるものに平等に注がれており、その教えは全てのものに説かれている。それをたとえると雨が万物に平等に注がれるようなものだと言うのです。私たちはその雨を受ける木や草のようなもので、大木や小さな草の違いはあっても互いに他を傷つけることなく、平等に降り注がれる雨を素直に共に享受することが大切なのです。
    共に生き、共に栄えるという生き方こそが法華経に説かれる在り方なのです。
    誰彼の区別なく輝き照らすお日様を拝して、共によい年を迎えましょう。